現在から始める
同じ品川区なのに、
土地の顔が違う。
西の台地から東の東京湾まで、現在の土地を横から見ます。
品川区の西側には武蔵野台地の東南部があります。目黒川と立会川が台地を分け、その周りに谷と低地ができました。東へ進むと海岸側の低地、その先に人がつくった埋立地と東京湾があります。
駅名や町名だけでは、この違いは見えません。五反田・大崎の川沿い、戸越・西大井の台地と谷、北品川の旧海岸、天王洲・八潮の埋立地では、同じ雨や地震でも確認することが変わります。
場所の名前を覚えるより、西から東へ土地の高さと成り立ちが変わることを見てください。台地も低地も一種類ではありません。
今の地図だけでは見えない水際を、残っている手掛かりからたどります。
では、現在のビルや道路ができる前、海はどこまで来ていたのでしょう。昔の海岸
旧東海道の東側には、
海があった。
過去の海岸線を推測で引かず、現在地に残る護岸と公的資料から読みます。
歴史的な海岸線は、時代によって変わります。VECTは一本の推測線を地図に描きません。その代わり、旧東海道、品川宿、目黒川河口、南品川2丁目に残る石積護岸など、位置を確認できる手掛かりを使います。
品川区は、東海道品川宿石積護岸を、宿場の家並みを波から守るため東向きに築かれたものと説明しています。現在の住宅地に残る石垣は、そこが水際だったことを示す具体的な証拠です。
正確な線を当てる図ではありません。旧東海道の東に護岸が残り、現在はさらに東へ土地が広がった関係を見てください。
水際には、やがて江戸と全国を結ぶ宿場が生まれました。
海に近い場所で、人はどのように街をつくったのでしょう。江戸時代
宿場は、海と街道の
あいだに生まれた。
品川宿・街道・海岸の位置関係が現在の旧市街へどう残るかを知ります。
品川宿は東海道最初の宿場として発展しました。街道に沿って人と物が集まり、そのすぐ東には海がありました。街道、家並み、護岸、船着き場が近い、陸と海の結節点です。
現在の北品川・南品川には、旧道の幅、寺社、商店、住宅、目黒川河口が短い距離に重なります。この街並みは歴史的な魅力である一方、地震時には道路幅、建物間隔、避難経路を確認する入口にもなります。
宿場を観光地としてだけでなく、台地から海へ下る短い距離の中に街道・住宅・水際が重なった場所として見てください。
次は、海岸だけでなく内陸の荏原側へ広がる都市化を見ます。
街道の街に鉄道と住宅が加わると、品川はどう変わったのでしょう。明治〜大正
鉄道と人口が、
街を内陸へ広げた。
鉄道・工業化・震災後の移住が、市街地と防災課題をどう変えたかを知ります。
明治以降、鉄道と工場、住宅地が広がりました。1923年の関東大震災後には、東京市から隣接する荏原方面へ移住する人が増え、街の成長が進みました。
人と建物が増えることは、街の発展です。同時に、木造住宅の密集、細い道路、駅への人の集中という、自然地形だけでは説明できない都市の防災課題も生まれました。
都市化は「危険になった」という一方向の話ではありません。便利さと同時に、建物密度・道路・帰宅困難など新しい確認が増えたことを見てください。
内陸へ広がる市街地と同時に、東京湾側では新しい陸地がつくられました。
一方、海側では街の面積そのものがどう変わったのでしょう。昭和〜現代
海を埋め立て、
品川の土地は約7km²広がった。
公表面積の変化から、東京湾側へ街が広がった大きさを読みます。
「埋め立てが進んだ」だけでは変化の大きさが分かりません。品川区の公表値では、1955年の15.82km²から2014年の22.84km²へ区域が広がりました。特に1967年から1979年の間に大きく増えています。
戦後の大規模埋立前
品川ふ頭など
大井ふ頭など
勝島3丁目など
勝島2丁目
勝島1丁目・八潮2丁目
現在の公表面積
棒の長さより、1967年から1979年の間に区域が大きく広がり、その後も段階的に増えたことを見てください。
新しい暮らし
八潮には集合住宅、公園、学校が整備され、天王洲・東品川には高層住宅・業務地が広がりました。
新しい防災条件
液状化・高潮だけでなく、橋、道路、地下受変電設備、給水ポンプ、エレベーターなど、生活を支える設備が重要になりました。
海岸線だけでなく、川と下水道の変化が現在の水害を形づくります。
陸地が増え、道路が舗装されると、雨はどこへ行くのでしょう。川と都市化
川が見えなくなっても、
水の道は残る。
目黒川と暗渠化された立会川、下水道、東京湾の関係を理解します。
目黒川は全長8.0kmで、品川区の下流部は潮の満ち引きの影響を受けます。立会川は全長7.41kmのうち6.66kmが暗渠で、河口側0.75kmが開水路です。上流が道路や緑道になっても、水系そのものがなくなったわけではありません。
街に降った雨は、屋根・道路から側溝や下水道へ集まり、川を通って東京湾へ向かいます。短時間に雨が集中すると、川があふれなくても排水しきれず、低い道路や地下空間へ水がたまることがあります。
雨が降った場所から海へ出るまで、途中に下水道と川があることを見てください。どこかで流しきれないと内水が起こります。
次は1923年を、年表ではなく現在へつながるケースとして読みます。
土地と都市の条件は、大地震でどのように表れたのでしょう。CASE STUDY|1923
関東大震災。
被災地であり、人が逃れてきた街。
地震の発生、当時の品川、人の移動、都市化、現在の課題を順番に読みます。
相模トラフ沿いの海溝型地震
倒壊・火災・液状化・津波・土砂災害などが広域で発生しました。
駅と海へ人が動いた
品川駅で列車に乗ろうとする人、船で避難する人の混乱が写真に残ります。
荏原へ人口が移った
東京市からの移住が進み、住宅地の成長と密集市街地の課題が重なりました。
火災と高層生活が同居
木密地域、帰宅困難、高層住宅の停電・断水を別々に考えます。
海・川・都市化・建物の高さを、現在の確認項目へ並べ直します。
ここまでの歴史は、現在のどの災害リスクとして残っているのでしょう。過去から現在へ
土地の履歴は、
現在の確認項目として残る。
昔の土地と現在の災害・建物を一対一で断定せず、確認の関係として整理します。
谷底の内水、斜面、地震火災、道路
木造住宅、半地下、避難経路
洪水、内水、地下空間
1階・地下設備、高層住宅の在宅避難
高潮、液状化、道路・橋
基礎、受変電設備、給水、エレベーター
左から右へ危険を断定する表ではありません。土地の履歴から、公式地図と建物資料で何を確認するかを選ぶ表です。
歴史を知識で終わらせず、5つの確認へ進みます。
では、自分の住所では何を最初に見ればよいのでしょう。自分の場所へ
昔の品川を知ったら、
今日の住所を調べる。
住所・土地・災害・建物・暮らしを一つの順番にします。
品川は場所によって土地のでき方が違います。だから同じ区でも、地震や水害で困ることが違います。この一文を自分の言葉で説明できたら、次は自宅・学校・職場の住所へ進んでください。
住所と建物から自分の防災を作る →