VECT FEATURE 02|春日部と水の歴史

春日部は、
なぜこれほど
水と近いのか。

このページは何の話?

春日部は、昔から今と同じ街だったわけではありません。台地の端、川が流れる低い土地、宿場と河岸、鉄道と住宅地、そして巨大な地下放水路。その変化をたどりながら、なぜ今も場所によって水害リスクが違うのかを見ていきます。

なぜ知る必要がある?

水害を「川の近くだから」で終わらせず、自宅に関係する川、街にたまる雨、建物、避難の順番を説明できるようになるためです。

読了目安 9〜12分図解 6点公的資料 12件

読み終わると分かること

川の名前ではなく、
水が動く仕組みが見える。

  1. 01二つの台地の端と低地の関係
  2. 02人が台地・自然堤防・川を使ってきた理由
  3. 03都市化が雨の流れをどう変えたか
  4. 04外郭放水路が必要になった理由
  5. 05治水施設があっても自宅確認が必要な理由
01

現在から始める

春日部は、
平らな一枚の土地ではない。

この章で知ること

西と東にある台地の端、その間の低地と複数河川の関係を知ります。

地図を見ると、春日部市には大落古利根川、中川、古隅田川、江戸川など多くの川があります。川が多いのは、街の名前や行政の都合ではありません。春日部市の西側には大宮台地の東端、東側には下総台地の西端が伸び、その間の低地を川が流れているからです。

国土交通省は、中川・綾瀬川流域を、大きな川に囲まれた「お皿の底」のような低平地と説明しています。川の傾きが緩いため、大雨で水位が上がると、水が海側へ流れきるまで時間がかかります。

西春日部を横から見る東
大宮台地の東端内牧・豊春側古隅田川大落古利根川中川河川が流れる低地下総台地の西端庄和東側
この図で見るところ

台地の名前より、両側のやや高い土地の間に広い低地があり、その中を何本もの川が流れている形を見てください。

春日部市郷土資料館と国土交通省の説明を模式化。高さ・距離・河川位置は正確な断面ではありません。

現在の地形には、昔の人が選んだ暮らしの場所が残っています。少し時間を戻します。

では、人は水の多い土地のどこで暮らし始めたのでしょう。
02

暮らしの始まり

人は、わずかな高さを
選んで暮らした。

この章で知ること

台地上の遺跡と、低地の自然堤防へ生活が広がった記録を読みます。

郷土資料館の記録では、約3万年前の人の痕跡が大宮台地・下総台地の端に残ります。縄文時代の遺跡も台地上で見つかっています。その後、弥生時代には低地の中でも川沿いに少し高くなった自然堤防へ生活の場が広がりました。

これは昔の人が現代のハザードマップを知っていたという話ではありません。土地のわずかな高低差が、住まい、畑、道、水の使い方に関係してきたことを示す記録です。

約3万年前〜台地の端に人の痕跡→縄文時代台地上に集落→弥生時代自然堤防へ生活が広がる→現在住宅・道路・水路が重なる
この図で見るところ

年代を暗記するより、人の暮らす範囲が台地から低地の小さな高まりへ広がった変化を見てください。

人は水を避けるだけではなく、運ぶ道、農業の水、商いの場所として川を使いました。

水辺の暮らしは、やがてどのような街をつくったのでしょう。
03

川と宿場

川は危険だけでなく、
街を育てる道だった。

この章で知ること

粕壁宿、江戸川の河岸、新田と水路が街をどう形づくったかを知ります。

日光道中の宿場

江戸時代、粕壁は日光道中の宿場町として発展しました。街道には人と物が集まり、現在の中心市街地につながる街の軸が生まれました。

川の港「河岸」

1640年ごろには江戸川が開削され、西宝珠花・西金野井などは河岸として栄えました。船は米、農産物、生活品、人を江戸と結びました。

新田と水路

河川や農業用水の整備とともに新田開発が進みました。水は暮らしを支える一方、堤防や水路を維持する仕事も地域に残しました。

川・水路↙農業↓舟運↓宿場↘現在の街
この図で見るところ

川を「危険なもの」だけで見ず、農業・移動・商いを支えたからこそ街が水辺に広がった関係を見てください。

船の時代から鉄道と道路の時代へ。街は便利になる一方、水が地面へ染み込む場所は減っていきました。

鉄道と住宅が増えると、雨の流れはどう変わったのでしょう。
04

鉄道と都市化

街が広がると、
雨は早く集まる。

この章で知ること

屋根・道路・住宅地の増加が、雨水の流れをどう変えるかを理解します。

1899年に東武鉄道の粕壁駅が開業し、1929〜1930年には現在の野田線につながる鉄道も開通しました。戦後は東京のベッドタウンとして住宅地や団地が広がりました。

土や田畑だった場所に屋根や舗装道路が増えると、雨は地面へ染み込まず、短い時間で側溝・下水道・水路・川へ集まります。都市化は暮らしを便利にしますが、雨の流れを速くする面もあります。

土・田畑が多い雨 ↓

一部は地面へ染み込み、ゆっくり水路へ

→ 都市化 →
屋根・道路が多い雨 ↓↓↓

短時間に側溝・下水道・水路へ集まる

この図で見るところ

雨の量だけでなく、地面へ染み込む時間が減り、排水施設へ水が集中する変化を見てください。

次は、過去の被害を恐怖の材料ではなく、現在の水害を理解する記録として読みます。

水と暮らしてきた街で、実際に何が起きたのでしょう。
05

CASE STUDY|1947

カスリーン台風。
水防の記録が残った。

この章で知ること

起きたこと、地域の記録、その後の治水、現在へ残る問いを分けます。

発生

1947年9月の台風と大雨

関東地方の広い範囲で洪水被害が発生しました。

春日部の記録

橋と水防団の写真

市のデジタル写真館には、新町橋、流失した木橋、武里水防団の活動が残されています。

読み取ること

川と暮らしの距離

橋・道・住宅・農地が水と近く、水防活動が地域を支えていました。

現代

地図と施設が増えた

現在は河川別の洪水想定、内水想定、外郭放水路など、確認できる情報と設備が増えています。

河川改修や水防に加え、水そのものを地下へ取り込み、江戸川へ運ぶ大規模な仕組みが作られました。

長く続いた水害問題に、どのような仕組みが作られたのでしょう。
06

1993〜2006

地下に、もう一つの
大きな川をつくった。

この章で知ること

外郭放水路がどの川の水を、どの順序で江戸川へ運ぶかを知ります。

首都圏外郭放水路は、低平地を流れる中小河川の洪水を減らすために建設され、2006年度に完成しました。中川、倉松川、大落古利根川、18号水路、幸松川から洪水の一部を取り込み、国道16号の地下約50メートルを通して江戸川へ排水します。

1 雨中小河川の水位が上がる→2 越流堤洪水の一部を取り込む→3 立坑地下へ落とす→4 トンネル地下約50mを流す→5 調圧水槽水の勢いを整える→6 排水機場江戸川へ排水
この図で見るところ

「地下神殿」の写真ではなく、水がどの川から入り、地下のどの施設を通り、最後にどこへ出るかを順番で見てください。

国土交通省の施設説明をもとにVECTが流れを単純化した模式図。運転条件や詳細構造を示す図ではありません。
首都圏外郭放水路を詳しく見る →

守る仕組みが増えても、短時間の強い雨、内水、対象外の河川、建物ごとの弱点は残ります。

巨大な施設が完成した後も、なぜ水害対策は続いているのでしょう。
07

現在の水害

川から来る水と、
街にたまる雨を分ける。

この章で知ること

洪水と内水氾濫の違い、現在進む雨水対策を理解します。

2026年、春日部市は想定最大規模降雨を1時間153ミリ、1日690ミリとして、雨水出水浸水想定区域を公表しました。これは、雨を排水施設や川へ流しきれず、街に水がたまる内水を示す図です。川の越水や堤防決壊による外水は含まれません。

そのため、自宅では洪水リスクマップと雨水出水浸水想定区域図の両方を開きます。さらに市は会之堀川や大規模雨水処理施設を整備し、県と市は開発で雨が一気に流れ出すのを抑える仕組みを進めています。

洪水(外水)

川の水位が上がり、越水や堤防決壊などで街へ水が入る。

河川別の洪水リスクマップ
内水氾濫

降った雨を下水・水路・川へ流しきれず、街に水がたまる。

雨水出水浸水想定区域図

街の物語を、最後に住所・建物・階数へ重ねます。

では、自分の家では何から確認すればよいのでしょう。
08

歴史から自分へ

古い話を、
今日の一つの確認へ。

この章で知ること

土地の履歴を危険判定ではなく、確認する順番へ変えます。

1 住所公式地図で検索→2 川どの河川の洪水?→3 雨内水想定は?→4 建物1階・設備・階数→5 行動いつ・どこへ動く?

春日部は水に弱い街、と覚えるためのページではありません。低地と複数河川の上に、水を使う暮らし、都市化、治水施設が重なっている。だから場所・川・建物によって確認することが違う、と説明できれば、この物語は自分の防災につながっています。

住所と建物から自分の防災を作る →

ANOTHER REGION

「歴史」を、もう一つの地域へ。

同じテーマでも、土地と街によって確認することが変わります。

東京都品川区の歴史